【今週の礼拝メッセージ】

 

  神のみことばを深く悟らせていただき、

  真理によって、歩んでいきましょう。

  神を知ることこそ、最高の幸福です。

 

 

 

◆幼子も礼拝します。あーめん。

 

 

2019年3月10日  山口春雄牧師

 

今日は、マルコ1112節~25節までのところから「実の無いいちじくの木」という題で、みことばから恵みをいただきたいと思います。

 

 

 

先週は、イエス様がまことの王としてエルサレム入城なされるところからでした。実は、ここから受難週が始まります。そして文字通り、イエス様が十字架で死なれる週となります。

 

 

 

今日の聖書の箇所は、イエス様がロバの子に乗ってエルサレム入城された日の翌日の月曜日の出来事です。

 

 

 

イエス様と弟子たちは、再びエルサレムへ向かうのですが、その途中イエス様は空腹を覚えられたようです。何か食べ物はないかと辺りを見まわすと、その先に葉の茂っているいちじくの木が見えたので、その実を取って食べようと近づいて見ると、葉が茂っているだけで実が一つもなかったのです。それを知ったイエス様は、このいちじくの木を叱ったというのです。後で分かりますが、このいちじくの木は枯れてしまいました。

 

 

 

この出来事を見て私たちは、なんとも理不尽なイエス様の言動にびっくりさせられます。まるで駄々をこねて腹を立てている子どもの様にも見えます。13節を見ると「まだ、いちじくのなる季節ではなかったからである」と言うことを聞くと、なおさらイエス様のなされたことに疑問が湧いてきます。

 

 

 

この出来事は、いちじくの木を叱ったことだけを見ていると、確かに、何てひどいイエス様だとなりますが、ここを正しく理解するためには、今日のみことば全体を見る必要がありのです。

 

 

 

14節までに、実の無いいちじくの木を叱って、20節ではそのいちじくの木が枯れています。その間15節~19節にもう一つの出来事があるのです。「イエス様の宮清め」の出来事が語られています。その事を理解する必要があるのです。

 

 

 

イエス様が神殿に来られた時、そこには過ぎ越しの祭りを祝う大勢の巡礼者がユダヤ全土、また世界中から集まっていました。彼らの目的は神に捧げ物をするために来たのです。本来なら、自分の家から規定に従った家畜の捧げ物を持って来るのですが、それは大変なことでした。

 

 

 

そんな人たちの便宜を図るため当時、神殿の境内に必要な家畜や両替をする店があり、巡礼者はそこで買えば便利で安心なことでした。お店を出す人たちも、自分たちの生活もありますから正当な範囲で儲けを出すことも必要なことで、決してこれ自体は悪い事ではありませんでした。

 

 

 

しかし、イエス様は宮に入ると商売をしているお店を片端から蹴散らし、商売人達を追い出し始めたのです。こんなに激しく怒ったイエス様、後にも先にもないことです。どういうことでしょう…?その事を考える上で重要なのは17節のみことばです。

 

 

 

ここで注目したいのは、「すべての民の祈りの家」と言う言葉です。当時、商売に使っていた境内の場所は、「異邦人の庭」と呼ばれていた所でした。異邦人たちにとってはとても大切な庭だったのです。そんな異邦人たちの礼拝場所を商売するお店が占領して、あたかもお前たち汚れた者は神に近づくなと言わんばかりの状態だったので、そこでイエス様はお店を蹴散らしたのです。

 

 

 

最後にもう一度、枯れたいちじくの木について見てみましょう。イエス様は、実がなる季節でないにもかかわらず、実を付けてないいちじくの木を叱りました。これは、当時のユダヤ人たちの信仰の姿勢を指して言っていることなのです。

 

 

 

神様は、私たちクリスチャンが、いつでもどんな時でも御霊の実を結ぶことを願っているのです。今は親切の実を結ぶ季節ではないから親切にしません。ということではいけないのです。

 

 


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