【今週の礼拝メッセージ】

 

  神のみことばを深く悟らせていただき、

  真理によって、歩んでいきましょう。

  神を知ることこそ、最高の幸福です。

 

 

 

◆老人ホームにて 訪問礼拝

 

 

2017/12/31

     山口 春雄 牧師

 

今日は、エペソ4章より「成熟を目指して」という題で、みことばから恵みをいただきたいと思います。

 

霊的に成長したいということは、クリスチャンであるならだれでも肝に銘じていることだろうと思います。

 

パウロはエペソ書の中で、成熟したクリスチャンの姿とはどういう姿であるのかということについて触れています。エペソ4:13をご覧ください。ここで注目したい言葉は「身たけ」という言葉です。パウロがここで使っている「身たけ」は、「年齢」という意味を含む言葉です。

 

年齢と言うのは、その人に接していればなんとなくわかるもので、どんなに若くみせようとしても、逆に大人ぶってみても、そうごまかせるものではありません。同じように霊的成熟度も、その人と接すれば何となく分かるものです。その人の話す言葉や立ち振舞い、あるいは、物事への関わり方やその態度に具体的に表れてくるからです。

大切なのは、一日一日主と共に歩んでいるうちに、結果として成長があるということです。年齢も、毎日の積み重ねによって歳を得て行くように、意図的に加えられることは決してありません。

 

それでは、クリスチャンとして霊的に成長するために必要なことは何かと申しますと、その基本は「霊的自立」であると言えます。いつまでもあの人この人に頼っていたのでは霊的成長はあり得ないのです。

 

霊的自立というのは、自分本位になって何か神様から離れて行くようにも聞こえますが、そうではありません。「神との主体的な関係を確立すること」だということです。

 

聖書を見ますと、神様はしばしば私たちに「あなた自身はどうしたいのか」とお聞きになることがあります。また、パウロはコリントの教会の人たちにこう勧めています。コリント9:6~8で「ひとりひとり心で決めた通りに」と言っています。ですから、クリスチャン生活とは、神との主体的な関係を土台として、神のみこころが何であるかを判断し、それを日々繰り返していくことが大切なのです。

 

それでは成熟したクリスチャンの性質について、具体的に見てみましょう。マタイ5章2~3節をご覧下さい。

 

イエス様が山上の説教の中で、最初に「心の貧しい者は幸いだ」と言いました。この性質がどの性質よりも最初に語られたのには重要な意味があります。それは、クリスチャンとして成長するためには、心が貧しくなければならないからです。そうでなければ、他の性質も身に付かないからです。ですから「心が貧しい」というのは、成熟したクリスチャンになるための入り口であると言えます。

 

それでは、「心が貧しい」とはどういうことなのかと申しますと、これは単に自分を低く見るということではありません。このことをしっかりと理解しておかなければ、間違った振る舞いをしてしまいます。「心が貧しい」とは、自分はイエス・キリストを通してでなければ、神の前に出ることができない存在であるということを、心から「知っている」人のことです。

 

このみ言葉を心に留めながら、過ぎ去ろうとする一年を振り返りつつ、来るべき2018年への良き心備えをしてまいりましょう。

 


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